アクティブラーニングな毎日

広い視野で生きたい。教育・グルメ・その他日々のことをつぶやきます。

筑波、行ってきました2

前回の続き、というか午後からの授業公開。

梅澤先生の5年生の授業。

テーマは、「これからの日本の食料生産」です。

授業のあらまし(私の解釈含む)

 「ご飯とパン、朝ご飯に何食べた?」と質問し、私たちの多くが米を食べていることを再認識させる。そこで、「アメリカ産コシヒカリと魚沼産コシヒカリどちらを買いますか」と問題を提示。アメリカ産の方が少し安いけれど、児童全員が魚沼産を選んだ。子どもたちは口をそろえて「アメリカ産は安全性が心配」と言い、教師側の揺さぶりにも動じない。最終的に、TPPが進めば関税がかからず、「アメリカ産は5kg288円」という情報を提示し、さらに意思決定をはかるも、動いたのは1名だった。その値段の情報をきっかけにしてTPPについて子どもたちは意見を出していき、最終的には「どのような対応をしていけばよいか」という発問に関して自分の考えることをノートにまとめていった。

 

価値判断・意思決定を迫る問題設定です。今回は一方にかたよったため、子どもたち同士の議論というよりは、教師対児童という構図になり、終始教師がゆさぶりをかけていくという状況になりました。最終、アメリカ産コシヒカリの価格が10分の1でも、日本のコシヒカリを選ぶと言い切った子どもたちの判断基準には、単なるイメージに近い、「安全」への固定観念があったと考えられます。ここで焦点をあてたいことは、

 

社会科の価値判断・意思決定における子どもたちの価値観をいかにゆさぶるか

 

事前の学習をあまりせずに判断する場合、子どもたちが元々持っている知識や生活体験に判断基準が大きく左右されます。おそらく、ほとんどがある程度裕福であろう彼らの家では、米に限らずどの食品でも「価格が高くても国産が安全。海外のものは心配だし買わない」とおうちの人が常々言っているのではないでしょうか。子どもたちの判断基準の第一位は「安全性」なのです。

 

これは、一昨年度の本校5年生でも同じでした。ほとんどの児童が、国産が一番で安全性を重視して米を選ぶと言っていました。しかし、実際の消費者の判断基準第一位は「安全性」ではないのです。

http://www.intage.co.jp/library/data/2010/04/20100426_3.pdf

 

http://www.komenet.jp/pdf/shouhi-doukou_16072583.pdf

 

http://www.jc-so-ken.or.jp/pdf/ja_report_writer/K-Toriba/32-14WI-K-Toriba.pdf

 

複数の調査を参考にした結果、米を選ぶ判断基準の第一位だったの「価格」です。これを子どもたちに見せた時は「えー!」とすごい驚きの声があがりました。自分たちの基準が、世間一般の基準とずれていたからです。

 

今回の授業では、お米の学習の時におさえが不十分だったのか、子どもたちが元々持っている「安全性」への強固なイメージが継続され、教師の情報提示に関わらず、最後まで突き崩せませんでした。

 

価値判断させたい問題(教材)と、子どもたちの状況(それをどう判断すると想定されるのか)、判断するため&ゆさぶるための材料、そして揺さぶりきれなかった時の持っていきかたまでセットで考えておかなければいけないと感じました。

 

何かがブレていたら、子どもたちもブレる。

子どもたちが自由に発言し、意見をつないでいく授業展開だからこそ、教師の見通しが本当に大事だと思います。

 

私はこのような「○○はよいか、悪いか」「あなたならどっちを選ぶか」という価値判断・意思決定の授業が好きです。

 

なかなか教師の思うレールに乗った授業展開にはなりにくいですが、価値判断・意思決定のために悩んで決断する過程の中に、子どもたちが問題解決に向けて思考する必然性が表れてきます。

 

これからも価値判断・意思決定についてもっと研究していきたい、と考えています。